yumegakureblogの日記

日日是好日…のたりのたりかな

隅田川散歩(白髭橋辺り)

#隅田川#白髭橋#橋場の渡#伊勢物語
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とりあえず、スマホを持って出かけることにした。
健康の為に歩くということが目的の為、なるべく信号機の少ない場所、
隅田川沿いに行くことにした。
思った以上に良くて、Googlemapのローカルガイドに思わず投稿してしまった。

歴史を遡ってみると、平安時代頃迄、白髭橋辺りは海だった。
その当時、律令制度がひかれてから迅速な情報を京都迄伝達する為、道路と交通網が整備されていった。
国内を(五畿七道)という行政区に分け、この辺りは(東海道)。
後に、(北海道)という名前が付けられたのも、この制度に準じたもので、明治時代に付けられた。

この場所には、(橋場の渡)と呼ばれた官営の渡しがあった。
橋場と名付けられてのは、源頼朝が鎌倉に向かう際に、隅田川に舟を並べて橋の代わりにして渡ったとされることから。

更には、(伊勢物語)の東下りにもこの辺りが登場し、在原業平が詠んだ句が有名。

名にし負はば いざこと問わむ都鳥我が思う人はありやなしやと

言問橋の名はこの句から生まれた。
(白髭橋西詰、石浜神社の中に句碑有り。)
他のにも、競技歌留多の(ちはやぶる)もこの人が詠んだ。

ちはやぶる神代もきかず竜田川
からくれないに水くくるとは

大変な色男であったらしいが、一般教養はなく、ただ歌は非常に優れていたという評価有り。

さて、江戸時代少し前。
川上に千住大橋が完成するとこの場所を通っていた奥州、水戸街道
大橋に移された。
それにより、この地は衰退していく。

明治時代になり、三条実美が風景が京都に似ていると気にいって、
(対鴎荘)という別邸を造った。
対鴎荘に付けられた(鴎)は、業平が詠んだ(都鳥)からだと思われる。
ここでいう都鳥は、(ゆりかもめ)にあたると言われている。

西南戦争が始まる前に、征韓論を巡り、西郷隆盛大久保利通が揉めた時に、病気と称して閉じ籠ってしまった。
その時に、明治天皇が心配されて御見舞いにこられた。
(白髭橋西詰に石碑有り。)
その後、白髭橋を造る際に、この建物は聖蹟桜ヶ丘の方に移された。

今は、向島高速道路が走り、スカイツリーがそびえ建ち、隅田川には白髭橋が架かっている。
最近は、とても好きな場所です。