yumegakureblogの日記

日日是好日…のたりのたりかな

隅田川

江戸向島 小梅村辺り

奥浅草にある待乳山昇天辺り、隅田川を挟んだ川向が江戸時代に向島小梅村と呼ばれていた。 現代では東京スカイツリーが立っている。 江戸時代には[竹屋の渡し]と呼ばれており、舟で向島と奥浅草を人が行き交いしていた。 今では歩行者専用の桜橋が架かってい…

つれづれ散歩 38 奥浅草 聖天町辺り

この写真は、嘉永6年(1853年)の[今戸箕輪浅草絵図]。小さくて見にくいので、少しこの絵図の説明を加えると、左手の大きなお寺が(浅草寺)。真中より少し上の四角に囲まれた所が(新吉原)。新吉原の横にある道が(日本堤)。日本堤の横の水色で描かれた川が、(山…

つれづれ散歩 21 隅田川 最初の橋

つれづれに散歩していて気付かされたのは、江戸という町が構成される時に、重要な出来事が2つあったのはないかと個人的に思った事だった。その内の1つには、隅田川に最初に架けられた千住大橋の出来事。2つ目には、明歴の大火(振袖火事)の出来事。今回は…

つれづれ散歩 21 隅田川 最初の橋

つれづれに散歩していて気付かされたのは、江戸という町が構成される時に、重要な出来事が2つあったのはないかと個人的に思った事だった。その内の1つには、隅田川に最初に架けられた千住大橋の出来事。2つ目には、明歴の大火(振袖火事)の出来事。今回は…

つれづれ散歩  12  大川の川向こう

[桜橋オブジェと向こう正面は向島]諸説は色々あるけれど、浅草側から見ると、隅田川の向こうにあたることから向島と呼ばれる様になったというのが、個人的には一番分かりやすい。江戸時代、隅田川は(大川)とも言われていた。本来は、吾妻橋より下流の事をそ…

つれづれ散歩 11 運河跡地の先に

[瑞光橋から]隅田川沿いのスーパー堤防遊歩道を歩いて行き、瑞光橋の上に来るとこの様な景色が拡がっている。最初は、舟を泊める入り江かと思ったが、舟は見あたらず、どうもそうでもないらしい。隅田川に直接注ぎ入れる様になっており、今は、ぐるりと遊歩…

つれづれ散歩 8  スカイツリーの見える隅田川桜橋

(伊勢物語)中の(東下り)で在原業平が詠んだとされる句が名にし負はばいざ言問わむ都鳥わが思ふ人はありやなしやこれを詠んだ場所が隅田川に架かる(桜橋)辺りとされている。江戸時代の(今戸蓑輪浅草絵図)の中にもこの場所にわざわざ(都鳥ノ名所ナリ)と記載さ…

つれづれ散歩5 隅田川 都鳥のいる風景

[桜橋からの、昔の橋場の渡し辺り]隅田川で言われる(都鳥)は、赤い嘴と赤い足をした(ユリカモメ)。漢字で表すと、(百合鴎)となる。この事が記載されていたのは、(伊勢物語)の(東下り)であり、それ以降都鳥はユリカモメとなったらしい。白髭橋の西詰の明治道…

つれづれ散歩3  深川新大橋ー 居眠り磐音六軒堀長屋辺り

[左、浜町。中央、新大橋。右、深川。]佐伯泰英氏の(居眠り磐音江戸双紙)全五十一巻の第一巻(陽炎の辻)において、主人公の磐音が江戸での生活を始める場所となるのが、新大橋傍の深川六軒堀長屋と設定されている。日本橋人形町の甘酒横町を抜け、浜町の明治…

つれづれ散歩2  橋場町外れの 真崎稲荷ー秋山大治郎の住い辺り

池波正太郎氏の(剣客商売)の秋山小兵衛の一子大治郎が住んでいた橋場町外れの真崎稲荷の話です。[隅田川の左側、向嶋寺島村だった。正面の橋、白鬚橋。右端、丸いガスタンクの辺りに橋場の石濱神社と真崎稲荷あり。]現在のこの場所は、隅田川に架かる白鬚橋…

隅田川散歩(白髭橋辺り)

#隅田川#白髭橋#橋場の渡#伊勢物語とりあえず、スマホを持って出かけることにした。健康の為に歩くということが目的の為、なるべく信号機の少ない場所、隅田川沿いに行くことにした。思った以上に良くて、Googlemapのローカルガイドに思わず投稿してしまった…