yumegakureblogの日記

日日是好日…のたりのたりかな

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

つれづれ散歩 45 本所 龍之介のみた世界

両国橋を渡り、京葉道路を少し行った所に、(芥川龍之介)が年少の頃に過ごした家があった。今では、建て看板一つではあるが。今回の本所の散歩の終わりは、芥川龍之介の話です。個人的には、昔彼の作品が好きでよく読んだ事があった。しかし、試験に彼の作品…

つれづれ散歩 44 本所 南割下水の浮世絵師

本所には、江戸時代に(北割下水)と(南割下水)と呼ばれて川のようなものが、(堅川)と平行してあった。ここで使われている(下水)とは、今でいう(生活排水用)のものではなく、この辺りが水捌けの悪い土地である為に、より(水捌け)を良くするために造られた。田…

つれづれ散歩 43 本所の父子鷹

今回から両国橋を渡った(本所界隈)について、今回を入れて三回位書いていくことになります。改めて、本所の地理的概略を少々。本所には、大横川や堅川(たてかわ)等幾つのも川が縦横に流れている。なぜ、川を造ったかは既に記載していますが、川を造る事に寄…

つれづれ散歩 43 本所の父子鷹

今回から両国橋を渡った(本所界隈)について、今回を入れて三回位書いていくことになります。改めて、本所の地理的概略を少々。本所には、大横川や堅川(たてかわ)等幾つのも川が縦横に流れている。なぜ、川を造ったかは既に記載していますが、川を造る事に寄…

つれづれ散歩 42 伝馬町牢屋敷と松陰

江戸時代、安政6年(1859)の江戸切絵図[日本橋北 内神田 両国 浜町 明細絵図]を見ると、上の川が(神田川)、右側が(隅田川)、右上角辺り神田川河口にあたる(両国橋)のたもと、(両国広小路)、真中左の四角い所が(伝馬牢屋敷)、中央右下より伝馬牢屋敷に向かう川…

つれづれ散歩 41 神田 お玉ヶ池 玄武館

江戸時代の終わりの頃、江戸に剣術の(三大道場)があった。(技の千葉)、(力の齊藤)、(位の桃井)と云われていた。今回は、その中の千葉道場のあった神田(お玉ヶ池)と言われた辺りへ散歩してみた。千葉道場は、宮城県気仙沼の生まれであった(千葉周作)が興した…

つれづれ散歩 40 神田川 柳橋

両国橋の傍、神田川河口に(柳橋)が架かっている。周りはビルが立ち並んでいるけれど、この辺りは何か古い時代の面影が漂っている感がある。(柳橋)は橋の名前だけでなく、花街の地名としても用いられていた。今回は、この柳橋について。個人的には、この柳橋…

つれづれ散歩 39 両国橋と花火

江戸時代、隅田川に千住大橋の次に架けられた橋が両国橋。武蔵国と下総国を結んでいた事からそう呼ばれるようになった。今回は、ここに足を運んでみます。1957年、江戸時代の大火の中で、最も一番被害が大きかったと云われる(明歴の大火)がおきた。 つれづれ…

つれづれ散歩 38 奥浅草 聖天町辺り

この写真は、嘉永6年(1853年)の[今戸箕輪浅草絵図]。小さくて見にくいので、少しこの絵図の説明を加えると、左手の大きなお寺が(浅草寺)。真中より少し上の四角に囲まれた所が(新吉原)。新吉原の横にある道が(日本堤)。日本堤の横の水色で描かれた川が、(山…

つれづれ散歩 37 次々と名前を替えた駅

久しぶりに晴れた日に、(スカイツリー)の足元まで、歩いていった。疲れたら、電車に乗れば良いと思って、歩ける所までとにかく歩く事にしている。但し、高所恐怖病の気があるため、ツリーの上にまで上がろうという気持ちはサラサラない。しかし、こんな近く…

つれづれ散歩 36  一茶と山頭火 日暮しの里

日暮里駅を出て、谷中銀座に降りる階段を(夕やけだんだん)という。この名前は地元の雑誌(谷根千)の人が名付けたらしい。谷根千とは、(谷中)(根津)(千駄木)の頭文字を取って付けたもの。路地裏に入ると(昭和の風情)が残るこの界隈を観光客にアピールする為に…

つれづれ散歩 34 始まりは無縁坂、終りは 団子坂 散歩

上野のまで足を伸ばして散歩をする時のコースは、個人的には大きく2つあります。一つは、上野公園から谷中墓地を抜けて日暮里へ向かうコース。このコースは、特に春の花見の時は最高です。人の多い上野公園はなるべく軽めに抜けて、人の少ない谷中墓地でゆっ…

つれづれ散歩 33 子規と漱石の住い

上野の谷中墓地から浅草方面を見下ろした辺りを(根岸)という。丁度、日暮里駅と鴬谷駅の間のラブホテルが連なっている狭い通りの先に俳人(正岡子規)が住んでいた家がある。太平洋戦争での空襲で元の家は焼けたのだが、正岡子規を愛する人々がお金を出しあっ…

つれづれ散歩 32 上野山地下 2つの駅

おそらく、上野と聞いて普通の人が一番思い浮かべるのは、西郷さんの銅像だと思う。上野台地の本当に縁にあたる所に位置しており、この辺り迄が海であった時代であれば、まさに灯台と思われるても仕方ない、そういう場所に銅像が設置されている。この西郷さ…

つれづれ散歩 31 東叡山寛永寺の居場所

上野寛永寺は、徳川家康、秀忠、家光に使えた僧(天海)が開山した。千代田城(江戸城)の北東が鬼門にあたる事から僧(天海)が寺院を建てる場所を探していた。その話を聞いた二代将軍徳川秀忠は、当初は(藤堂家)等の三大名の下屋敷があった上野のこの場所を退い…

つれづれ散歩 30 上野 不忍池の一輪の蓮

雲に覆われて日差しが無さそうなので、久しぶりに上野迄足を伸ばしてみた。不忍池の蓮池と云われる場所には、背丈が人の高さに程の蓮が所狭しと生い茂っていた。時期が遅かったのか、花がなかなか見つからなかったが、やっと一輪見つけた。(本郷台地)と(上野…