つれづれ散歩 34 始まりは無縁坂、終りは 団子坂 散歩
一つは、上野公園から谷中墓地を抜けて日暮里へ向かうコース。
このコースは、特に春の花見🌸🍺🌸の時は最高です。
人の多い上野公園はなるべく軽めに抜けて、人の少ない谷中墓地でゆっくり歩くと、桜🌸が思いきり堪能できる。
普段、起伏のない平垣な場所しか歩かないので、こういう坂を登り下りするのが割りと気分転換になる。
今回は、2番目のコースの散歩。
この辺りは、昔は上野台地と本郷台地の間は海が入り込んでおり、遠浅の入江だったと考えられている。
時代が下るに伴い、海水が引いていき、やがて不忍池が残った。
本郷台地の根津谷に面した(弥生町)から土器が発掘された。
そして、(無縁坂)。
(さだまさし)氏の歌でも有名な坂。
最初は、無縁坂は詩の中の架空の坂だと思っていた。
本当にあると知った時は多少驚いた、本当にあるんだ、と。
無縁坂の名前は、この坂の傍に(無縁寺)という名前の寺があり、其処から付けられたらしい。
更に、この坂を登りきった右側は(東京大学病院)の敷地になっている。
これによって、上野戦争は終りを告げた。
私にとっては、坂道の幅も坂の傾斜角度も適度に心地よく、無縁坂を登り終えた。
東京大学の赤門を通り過ぎて行くとその先に(本郷追分)がある。
江戸時代、本郷追分を左に行くと(中山道)に繋がり、その先の(板橋宿)に向かう。
の一つになっている。
この街道は、将軍が日光へ参拝する際に通った所、それ故(日光御成街道)と云われるようになった。
その街道の途中に(千駄木)から(谷中)に抜ける道がある。
本郷台地の上から低地の谷田川(藍染川)へ向かう坂がある。
江戸時代の谷中、小石川、本郷絵図には(タンコサカ)と片仮名で記載されている。
これが千駄木の(団子坂)事になる。
ここから、東京湾が見えた事から(潮見坂)という呼び名もあった。
江戸末期から明治にかけて、巣鴨の(染井)辺りの植木職人が(菊細工)を始めた。
その後、団子坂辺りに多くやってきて、(菊人形)を始めた所評判になり、大変な賑いになったらしい。
菊人形の始まりは、この団子坂であったらしい。
それと、江戸の(藪蕎麦)はこの団子坂にあった(蔦屋)が本家であり、その弟子達が(神田)(上野)(浅草)に広めた。
今は、藪蕎麦の三名所と呼ばれているらしい。
しかし、(蔦屋)は主人が相場に手をだし失敗して店を潰し、今ではこの場合にはない。
個人的に一番そうだったのかと、思ったのは、
この(D坂)こそ、(団子坂)なのです。
上野からの2つのコースは、上野台地の尾根を通るか、本郷台地の尾根を通るかの違いなのですが、其々の特長がハッキリと解り、違いが解る所でもあるのです。
最終目的地は同じなのですが、違う道を歩くというのも散歩の醍醐味の一つだと思っている。
こういう散歩を季節毎にするのは実に楽しいと思う、この頃です。
ここまで読んで頂きまして、
ありがとうございます。
m(._.)m
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