yumegakureblogの日記

日日是好日…のたりのたりかな

2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

つれづれ散歩  12  大川の川向こう

[桜橋オブジェと向こう正面は向島]諸説は色々あるけれど、浅草側から見ると、隅田川の向こうにあたることから向島と呼ばれる様になったというのが、個人的には一番分かりやすい。江戸時代、隅田川は(大川)とも言われていた。本来は、吾妻橋より下流の事をそ…

つれづれ散歩 11 運河跡地の先に

[瑞光橋から]隅田川沿いのスーパー堤防遊歩道を歩いて行き、瑞光橋の上に来るとこの様な景色が拡がっている。最初は、舟を泊める入り江かと思ったが、舟は見あたらず、どうもそうでもないらしい。隅田川に直接注ぎ入れる様になっており、今は、ぐるりと遊歩…

つれづれ散歩 10  夏越(なご)し祓ーコロナ大祓

[日光街道側]南千住の日光街道沿いを歩いていると久しぶりに(素盞雄神社)を見つけたので参拝する事にした。日本には八百万(やおよろず)の神様があり、その神様の中で、アマテラス、ツキヨミ、スサノオの三人を特に(三貴神)と呼ぶらしい。この神社は、江戸時…

つれづれ散歩 9 おそれ入谷の白洋館

[真源院の鬼子母神]江戸時代以前は、上野台地を除いて、東部低地は全て海であった。やがて、荒川や利根川によって一部は土砂が堆積されていき陸地化していったが、その当時は(千束池)や(姫ヶ池)と言う池の形で残っており、その周辺は広々とした湿地地帯が拡…

つれづれ散歩 8  スカイツリーの見える隅田川桜橋

(伊勢物語)中の(東下り)で在原業平が詠んだとされる句が名にし負はばいざ言問わむ都鳥わが思ふ人はありやなしやこれを詠んだ場所が隅田川に架かる(桜橋)辺りとされている。江戸時代の(今戸蓑輪浅草絵図)の中にもこの場所にわざわざ(都鳥ノ名所ナリ)と記載さ…

つれづれ散歩7  梅雨さなか つわものどもの 夢の跡ー上野の山

[広小路側からの上野公園入口]梅雨の晴れ間に久しぶりに上野公園に出かけてみた。公園には新型コロナの影響で思った以上に人が居なかった。江戸末期、この上野の山において幕臣の武装自警団の(彰義隊)と新政府軍との戦がおこなわれた。何故、彰義隊が上野の…

つれづれ散歩6  入梅ー菖蒲と紫陽花と

京成本線堀切菖蒲園駅から荒川方面に徒歩約十分の(堀切菖蒲園)。例年だと、菖蒲祭と称して大々的に行われているのではあるが、今年は新型コロナの影響で混雑を避ける為に、何の前触れもなく始まっていたようだ。この辺りの菖蒲園を有名にしたのは、伊左衛門…

つれづれ散歩5 隅田川 都鳥のいる風景

[桜橋からの、昔の橋場の渡し辺り]隅田川で言われる(都鳥)は、赤い嘴と赤い足をした(ユリカモメ)。漢字で表すと、(百合鴎)となる。この事が記載されていたのは、(伊勢物語)の(東下り)であり、それ以降都鳥はユリカモメとなったらしい。白髭橋の西詰の明治道…

つれづれ散歩4 橋場の渡しと千住大橋

[隅田川、左側向島、右側橋場]隅田川において(都鳥)が初めて出てくるのは、有名な(伊勢物語)の(東下り)であるらしい。伊勢物語は、[昔、男ありけり]から始まる在原業平が主人公とされている日本最古の仮名文学の歌物語。作者不詳、成立年代も不詳。(東下り)…