つれづれ散歩 11 運河跡地の先に
[瑞光橋から]
最初は、舟を泊める入り江かと思ったが、舟は見あたらず、どうもそうでもないらしい。
隅田川に直接注ぎ入れる様になっており、今は、ぐるりと遊歩道が整備されて公園になっている。
その疑問がなかなか解けず、もやもやした日々がしばらく続いていたが、ある日、日光街道沿いの不動産屋さんが街頭に飾っていた一枚の写真を見て納得がいった。
では、この運河の先に一体何があったのだろうか?
運河の跡の道を辿るとおそらくここに繋がっていたであろうと予測される場所に来ることができた。
今では、トラックでコンテナを移動する為の出入口になっている場所になっている。
おそらく、運河を利用した船に代わって、道を使ってトラックで荷物を移送する事に変わっただけなのだろうと感じた。
この場所は、(JR隅田川駅)という余り馴染みのない貨物専用駅だった。
この駅について調べてみると、明治時代の1896年に民間鉄道会社の日本鉄道によって造られた事がわかった。
当時、明治政府は西南戦争等の借金で政府にお金がなく、鉄道事業については後廻しになっており、民間の力に頼っていた。
私鉄の日本鉄道は、日露戦争を前にした世情の中で、戦艦の動力源である石炭を港まで迅速に運ぶ事で儲ける事を考えていた。
つまり、石炭産地の常磐炭田から線路を引いて、戦艦のある横浜港まで運ぶ事を思いついた。
即ち、産地直結という事であった。
当時の技術では、高低さのある武蔵野台地を横切って横浜港迄到達する鉄道技術も機関車もなかった。
その為、船を利用する事になった。
その為の荷物の集積地と詰め替え地としてこの場所を設定した。
その際に、それ以外の荷物と人々も移送できる様に炭鉱とこの場所までの間に駅を造った。
更には、石炭の荷物をよりスムーズに運ぶ為に、駅から隅田川に繋がる運河まで造ってしまった。
その後、運河は埋め立てられたが、その名残として入り江跡の様な形の公園になった。
今では高いビルが建ち並んではいるが、この辺り全てが隅田川駅として利用されていたらしい。