yumegakureblogの日記

日日是好日…のたりのたりかな

貴方の住んでいる町の読み方は…❓️

住所に書かれた[町]は

なんて読むのだろうか…

先日、新聞記事を読んでいた時に

面白い記事を見つけた。

 

その内容は

(町)をなんと読んだらいいのだろうか❓️

という事であった。

 

つまり、

行政区において

(ちょう)と読むのが正しいのか

(まち)と読むのが正しいのか

という事です。

 

そう言われてみれば、

住んでいる場所によって

読み方が違う訳です。

 

登録されている

日本各地の(町)を

一つ一つ洗い出して

調べてみたそうです。

 

その結果は

大まかに言えば、

西日本では

(ちょう)と読み、

東日本では

(まち)と読むらしい

という事になったそうです。

 

え~っ、

そう言えばそうだ❗

確かに

住んでいた先々で

読み方が変わっていた。

 

でも、どうしてそんな事になったのだろう❓️

 

記事には

正確には理由は分かっていない❗

と書いてあった。

 

しかし、

明治時代以降における市町村合併の時などで

行政上整備された時に

このようになったのではないか❓️

という事だった。


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そこで

少し気になったので

もう少し

調べ🔍️👓️てみる事にした。

 

江戸時代の呼ばれ方は…

例えば、

江戸時代、

江戸の町では

どのように呼ばれていたのだろうか❓️

 

時代劇によく登場する

町奉行南町奉行については

(きたまち)

(みなみまち)と呼ばれていた。

 

今でも

地下鉄等の駅名で残っている

御徒町(おかちまち)

小川町(おがわまち)

大手町(おおてまち)

等も

(まち)と呼ばれている。

 

これらに

共通するのは

武家屋敷があり、

武士が住んでいた場所であった。

 

武士が住んでいたのは

(まち)

と呼ばれていたという事になる。

 

一方、

人形町(にんぎょうちょう)

神谷町(かみやちょう)

馬喰町(ばくろちょう)

等は(ちょう)と呼ばれていた。

 

商業や手工業、

運搬業等を扱った場所等は

(ちょう)

と呼ばれていた事になる。

 

つまり、

武士と

武士以外の人が住んでいる

区分けをする意味合いで

呼び名が変えられたらしいのだ。

 

そうすれば

その呼び名だけで誰が住んでいるのかは

大体わかった事になる。

 


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何故、

西日本では町(ちょう)が多いのか…

 

京都は今でこそ、

古都と呼ばれているけれど、

平安京が造られた時は

時代の最先端の町であった。

 

そして、

そこには技術的にも

当時の最先端技術があった。

 

お酒の作り方、

布地の折り方、

文字の表記方法等

中国大陸や朝鮮半島から来た人々が

その技術を担っていた。

 

山背国(やましろのくに)と呼ばれていた

平安京以前の頃から

この土地には

海外からの移住者達が住んでいた。

 

(秦)氏はその代表であり、

後年、

(西陣織り)と呼ばれる技術は

彼らによって成り立っていた。

 

今も

漢字の読み方には

(音読み)と(訓読み)がある。

 

音読みは

海を渡って来た人々が使っていた発音に沿った

言葉だろうと思われ、

訓読みは

和人が主に使っていた言葉と考えられる。

 

(町)という言葉は

元来は農地の境を表したものであるらしい。

それが

碁盤の目のような平安京の町並みを表す時に

使われ始めたのではないか❓️と

想像出来そうだ。

 

そして

海外移住者が多く、

先端技術者がいる土地という事を考えれば

町は

当然、(ちょう)と呼ばれたのではなかろうか。

 

中国大陸への交通の要となった

瀬戸内を囲む土地の人々も

町(ちょう)と呼んだはずと考えるのが自然だと思うのです。

 

つまり、

西日本で

町(ちょう)と読むのは

その名残と考えるのが

当たり前なのではなかろうか😄

 


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東日本での町(まち)と呼ぶのは…

東日本で町(まち)と読むのは

徳川幕府が江戸を開いて、

武家社会を作った時に

武士の住む場所を

町(まち)と呼ばせた事に起因するのでは

と思うのです。

 

京の都から離れた土地では

町(ちょう)を(まち)と読み替えるのに

さほど抵抗感はなかったはずだと考えるのです。

 

どちらによ、

日本語は同じ文字でも

読み方が

色々あって本当に難しいのは確かです。

 

でも、

そこには紆余曲折しながら、一つの言葉として完成した成り立ちがあるらしいと思えるのです。

 

暇をもて余して

新聞記事を読みながら、

こんな事を考えてみたりしてみたのです。

 

         (おしまい)