yumegakureblogの日記

日日是好日…のたりのたりかな

2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧

つれづれ散歩 29 明治の京都市街地図

書類と書類の間に挟まった封筒から紙を出すと明治時代に発行された(京都市街地図)が出てきた。どうやら、明治36年(1903)に観光案内図として刊行された物のレプリカらしい。地図の中には、京都の街並が鳥瞰図(ちょうかんず)で描写されている。鳥瞰図とは、空…

つれづれ散歩 28 昔(作家)五木寛之が通った場所

作家(五木寛之)氏が(早稲田大学露文科)に入学した頃に(立石)の製薬会社に通った事がある、というエッセイを読んだ記憶があった。何の本であったか定かでなかったので、思い当たる物を引っ張り出し探してみた。すると、(KKべすとせらーず)から発行された(五木…

つれづれ散歩 26 安倍晴明所縁 五山熊野神社

東京の東部を流れる中川は、昔は(古利根川)が亀有辺りで分流した河道の1つで西葛西方面に流れていたものであるらしい。川筋は蛇行が激しく今でもそれがハッキリとわかる。その中川の右岸沿いに柴又帝釈天に続く道があったようだ。この小さな石碑には(帝釈天…

つれづれ散歩 25 葛西用水下流 曳舟川

東京スカイツリーの地元の墨田区に(曳舟川通り)という道路がある。一方、荒川を越えた葛飾区に(曳舟川親水公園)という四ツ木から亀有までの片道約3Kmに及ぶ細長い公園がある。確かに名前は同じではあるが、最初は同じ川だとは思わなかった。なにせ途中で荒…

つれづれ散歩 24  帝釈人車鉄道の夜

今回の散歩は、柴又帝釈天に向かいます。柴又は映画(フーテンの寅)の出身地として有名。しかし、新型コロナの影響があるようで、参道には人影は疎らです。通常、柴又で(帝釈天)と呼ばれるのは(題経寺)というお寺の事。1629年に創建。このお寺は(庚申の日)の…

つれづれ散歩 23  下町 光の球場跡

昔、下町に球場があったという事は聞いた事があったけれど、何処にどあったかもどこの球団がプレーしたかも知らなかった。今回、全く偶然ではあるけれど、それが分かった。日光街道をブラブラしている途中に千住間道という道を見つけたので、今回はその道を…

つれづれ散歩 22 千住宿を守る神様達

南千住から千住大橋を渡りきると、直ぐ右手に(足立市場)があり、その前の道筋が江戸時代から続く(旧日光街道)になっている。(旧日光街道)だけでなく、(旧水戸街道)(旧佐倉街道)の起点でもあった。今回は、この街道を歩いてみた。上の写真はこの旧日光街道側…

つれづれ散歩 21 隅田川 最初の橋

つれづれに散歩していて気付かされたのは、江戸という町が構成される時に、重要な出来事が2つあったのはないかと個人的に思った事だった。その内の1つには、隅田川に最初に架けられた千住大橋の出来事。2つ目には、明歴の大火(振袖火事)の出来事。今回は…

つれづれ散歩 21 隅田川 最初の橋

つれづれに散歩していて気付かされたのは、江戸という町が構成される時に、重要な出来事が2つあったのはないかと個人的に思った事だった。その内の1つには、隅田川に最初に架けられた千住大橋の出来事。2つ目には、明歴の大火(振袖火事)の出来事。今回は…