yumegakureblogの日記

日日是好日…のたりのたりかな

つれづれ散歩 22 千住宿を守る神様達

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南千住から千住大橋を渡りきると、直ぐ右手に(足立市場)があり、その前の道筋が江戸時代から続く(旧日光街道)になっている。
(旧日光街道)だけでなく、(旧水戸街道)(旧佐倉街道)の起点でもあった。
今回は、この街道を歩いてみた。

上の写真はこの旧日光街道側に入った所から見た千住大橋方面。

この旧日光街道の道筋は、江戸時代と同じように千住地区をほぼ南から北に真っ直ぐ続き、荒川で途切れている。
昭和の始めの荒川放水路(現 荒川)
の完成により、其々の街道は分断された。
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足立市場の前の道筋は(やっちゃ場通り)と呼ばれ、この道筋には江戸時代の店名の表札が飾られている所が各所にあり、昔の街道の面影を出している。
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道筋に石標があり(是より西へ大師道)とあるのは、西新井大師へ向かう道という事になる。
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(やっちゃ場通り)から続くのが(ほんちょう商店街)、さらに先は(宿場町通り)と呼ばれているが、全て(旧日光街道)である。
千住駅前通りと交差するようになっており、この地区のメインストリートにもなっている。
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宿場町通りに面した所には、江戸時代後期に建てられたものもある。
昔の商屋の雰囲気を漂わせている。
柱についた傷痕は、幕末に官軍と戦った彰義隊が刀で斬りつけたものと云われている。
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この道筋に面した所は、建物に高さ制限があるのか、高くても3~4階建で見通しが良く、北千住駅ビルを見る事ができる。
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荒川の手前の道筋の石標には、(北ー日光道中)(東ー水戸、佐倉道)とあるが、この先は荒川がありこれ以上は進めない。
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この旧日光街道の周辺をブラブラしてみると、やたらと(氷川神社)があるという事に気付いた。
地図を広げて見ると面白い事に(氷川神社)が、現存するだけで周辺にこの街道をぐるりと囲むように6社も配置されている。
氷川神社は洪水等の水難から守ってくれると云われており、この街道が如何に重要な街道であったかが窺える。
おそらく、徳川幕府の誰かが指事して造ったものとも考えられる。

更に、面白い事に(稲荷神社)は、今の日光街道の殆ど左側、つまり、稲荷神社は千住の全て西側に位置している事である。
(稲が成る)事から転じて、稲荷神社となったように元は農業を司る神様だった。
この事からしても、千住に最初に住み着いた人達はこの西側の少し小高い所で、半農半漁の生活をしていたことが想像できる。

千住大橋が完成した後に、旧日光街道周辺の葦野原であった低地が開発されて宿場町が形成されていったということになるだろう。

稲荷神社と氷川神社の両方の神様が祀られた神社が(千住神社)。
926年に稲荷神社として建てられ、後の1279年に近くに氷川神社が創建された。
明治時代になって2つの神社が合祀され、区内唯一の(郷社)として(西森神社)となった。
後に(千住神社)と改名。

そして、
千住は今も千住神社を中心とした神様達に守られている。

最後に余談ですが、セブンイレブン等を展開している(セブン&アイホールディング)の元となったイ)トーヨーカ堂)の発祥地はこの千住になり、1号店があった所です。

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