yumegakureblogの日記

日日是好日…のたりのたりかな

つれづれ散歩 30 上野 不忍池の一輪の蓮

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雲に覆われて日差しが無さそうなので、久しぶりに上野迄足を伸ばしてみた。
不忍池の蓮池と云われる場所には、背丈が人の高さに程の蓮が所狭しと生い茂っていた。
時期が遅かったのか、花がなかなか見つからなかったが、やっと一輪見つけた。

(本郷台地)と(上野台地)に挟まれた低地に(不忍池)は位置している。
一説には、昔この辺りが(忍ヶ岡)と呼ばれていた事から不忍池と名付けられたらしい。
不忍池は、(上野寛永寺)が建立された時に比叡山から見下ろせる(琵琶湖)にたとえられた。
(弁天島)は琵琶湖の(竹生島)に似せて築かれた。
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石神井川は(王子石堰)を越えると、やがて(音無川)と(谷田川)に分かれていった。

音無川は上野台地の端を今の京浜東北線に沿って流れ、日暮里で三ノ輪方面に流れを変え、隅田川へ流れ込む農業用水だった。

一方、谷田川は上野台地と本郷台地の間の低地を流れ、やがて不忍池に注いでいた。
現在の(染井銀座)(田端銀座)を抜け、(よみせ商店街)を通っていた。
つまり、千駄木と谷中の間を流れており、当時は藍染めが盛んであった為に(藍染川)とも呼ばれてた。
今でも(よみせ商店街)から続く(ヘビ道)はクネクネとした道がある。
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不忍池からは(忍川)が(下谷広小路)を横切るように流れ、屋敷町の堀として流れて、(鳥越神社)からは(鳥越川)と名を変えて隅田川へ注いでいた。

(下谷広小路)は(明暦の大火)の後に(火除け地)として作られた。
同時に、今の松坂屋辺りから寛永寺に向かう(表参道)でもあった。

寛永寺に入る手前に忍川が流れており、其処には(三つの橋)が架かっており、(三橋)と呼ばれていた。
真ん中の橋は、基本的には将軍が寛永寺に参拝にいく際に使われた。
その両側に小橋が二つあり、一般的に利用された。

三橋を渡り、少し行くと寛永寺の(黒門)があった。
黒門は、幕末の(上野戦争)の時に薩摩の(西郷隆盛)が受け持った場所であり、激戦がおこなわれた。

三橋という名前は、上野で有名な老舗(甘味処みはし)という名前でその名が今も受け継がれている。

時を経て、
今では谷田川も忍川も暗渠化され、三橋も道路の下に眠っている。

辛うじて、
いまだに不忍池の蓮は江戸の面影を残しているのかも知れない。


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