つれづれ散歩 45 本所 龍之介のみた世界
今では、建て看板一つではあるが。
今回の本所の散歩の終わりは、芥川龍之介の話です。
個人的には、昔彼の作品が好きでよく読んだ事があった。
しかし、試験に彼の作品が出題されると、点数が取れないという事が何度か続いた。
どうしてかよく分からなかったが、
余りにも続いたので、最後は彼の作品が出題されると点数を取るのを諦める事にした。
牛乳製造販売店の(新原家)の
(長男)として生まれた。
辰年、辰月、辰日、辰刻の生まれだった事から(龍之介)と付けられた。
但し、辰刻だったどうかは、定かではない。
龍之介が生後7か月たった頃に、母親が精神異常に陥った。
その原因としては、彼が生まれる約1年前に彼の姉が病死した事に関連性があると考えられた。
その為、龍之介は母親の実家であった本所で、母親の妹によって育てられる事になった。
翌年に、母親の兄である(芥川家)の養子となった。
というのは、
彼の父親(新原氏)と母親の妹の間に関係が出来てしまい、彼の(弟)が生まれるという事がおきた。
その為に、(新原家)と(芥川家)が絶縁状態に陥った。
龍之介が芥川家の養子になったのは、それが原因であった。
後に、龍之介が
(漠然とした不安)
と言った言葉は、
一つには、
母親が精神異常を起こした(血)が自分にも流れている事に対する不安。
二つ目には、
彼が大人になった時に、
父親が犯したような間違いを自分も同じように犯してしまう。
まさに、父親と同じ(血)が自分の体内に流れている事に対する不安。
三つ目には、
年少期にこうしたドロドロした大人の世界を垣間見た精神的な不安。
等があったとのではないかと
推測される。
やがて、
京葉道路を渡った所にある、今の(両国小学校)へ通う事になった。
今では、小学校の入口には、芥川龍之介の記念碑が建っている。
芥川家の養子に入って、学校へ通うようになり、彼は勉強に一層の力を入れるようになった。
芥川家の環境が勉強を応援するような環境であった事と、
勉強を頑張らないと
(芥川家から追い出されてしまう)
という不安が年少の龍之介を襲っていたらしい。
彼も何度もこの屋敷の前を通ったと思われる。
小学校を出た後は、
府立第三中学(今の都立両国高校付属中学)で(多年度成績優等生)の賞状を受けて卒業した。
そして、第一高等学校に入学。
同期に、
第一高等学校は(旧一高)と呼ばれ、
高校卒業後、
(東京帝国大学)文科大学英文学科に入学。
在学中に一高同期と一緒に、同人誌(新思潮)を出した。
後に、彼が書いた(鼻)が(夏目漱石)から絶賛された。
それで自信を付けて、
小説家の道に入って行った。
悪魔の辞典とは、辞典の形式を取りながら、用語をブラックユーモアや皮肉を加えて、再定義したもの。
作家のピアスを日本に初めて紹介したのは、龍之介であった。
(侏儒)とは、体の小さい人、或いは知識のない人という意味。
その中に
人生の悲劇の第一幕は親子となったことにはじまっている。
という文がある。
この文を見る度に、本所の幼い龍之介が観ていた世界が鮮やかに甦って来るように思えた。
彼の人生は僅か35年間であった。
彼の小説と同じように短かった。
彼の父親と同じように弟子との間で(色恋沙汰)で騒ぎを起こし、
母親と同じようにやがて神経を磨り減らしていき、
最期は自らの命を絶った。
彼の死後、
芥川賞第一回授賞にあたり、
それは
叶わぬ夢で終わってしまった。
芥川賞第一回授賞者は、
(石川達三)の[蒼氓(そうぼう)]
であった。
此処まで
長い文を読んで頂きまして
ありがとうございました。
m(._.)m