yumegakureblogの日記

日日是好日…のたりのたりかな

つれづれ散歩 44 本所 南割下水の浮世絵師

DSC_0899.JPG本所には、江戸時代に(北割下水)と(南割下水)と呼ばれて川のようなものが、(堅川)と平行してあった。

ここで使われている(下水)とは、
今でいう(生活排水用)のものではなく、この辺りが水捌けの悪い土地である為に、より(水捌け)を良くするために造られた。
田んぼの(用水路)を元に造られたとも言われている。
川幅は約二間。
今で言えば、約1.8m~3.6m位。
小さな川と思った方がより正しいかも知れない。

位置的には、
北割下水は、今の(春日通り)。
南割下水は、(北斎通り)、
にあたるが、
今ではその痕跡はない。

通常、(本所の割下水)という場合は、(南割下水)の事を指す。

更に、この言葉は単に川でなく、住んでいる場所を指す(地名)としても用いられる事もあった。
例えば、
(何処に住んでいるのか?)
と尋ねられた時に、
(南割下水)、
と答えると相手に通じた。

今回は、
南割下水の後の通りの名前もなった浮世絵師の(葛飾北斎)の話。
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葛飾北斎は、この南割下水の傍で生まれた。
彼は、江戸時代後期の(浮世絵師)であり、富士山🗻を描いた(富嶽三十六景)は彼の代表作でもある。

彼の描いた浮世絵は、後にヨーロッパの(印象派絵画)や(工芸家)、(音楽家)等に多大な影響を与えた。
特に、印象派画家の(ひまわり🌻)や
(自画像)等で有名な(ゴッホ)も同様であった。

アメリカ合衆国の雑誌(ライフ)が、1999年に行った、
[この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人]
と、いう記事の中で、唯一日本人として(86位)にランクインした。

これは即ち、
葛飾北斎という人物が、
どれだけ凄い作品を造り上げ、世界の人々に影響を与えたか❗
或いは、
世界に通用する程のどれだけ凄い才能があったか❗
という、
証明にはなっていると思われる。

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しかし、
残した数々(作品)と人物本人の(個性)は全く異なるものであるらしい。
(品行方正)だからと言って、良い作品が生まれる保障はない。
かといって、不良であれば、良い作品が出来きるかというとそれも全く違うことになる。

例えば、天才的作曲家(モーツァルト)が、彼が品行方正だったか、というと決してそうではない。
しかし、作品の出来ばえは非常に素晴らしい。

ということは、
(天才)と呼ばれる人達は、
自分の生活の何かのパーツを(犠牲)にしながらも、
自分の作品を造り上げている、
と思わざるを得ない。

(犠牲)とい表現より、
一般の社会生活を営む上での(欠陥)があったと言った方が正確かも知れない。
それを、(個性)と呼ぶ人もいるかも知れないけれど。
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そういう意味では、
葛飾北斎も普通の社会生活を営んだ人ではなかった。

例えば、
(その1)
名前を替えた数が約30回。😰
(葛飾)は当時この辺りが葛飾郡と呼ばれていた所から付けた。
(北斎)という名前は、(北斗七星)或いは(北極星)を神格化した(日蓮宗系)の信仰に因んでいるらしい。

この北斎という名前さえ、弟子に譲ったりしている。
それ故、北斎の画風ではない北斎の文字の入った作品も残っている。
名前に対する執着心が、全く無かった。

(その2)
引っ越しをした回数が93回。😰
一日で三回、引っ越したこともあるらしい。
どうやったら、一日で三回も引っ越せるのか、不思議でならない。😅

家の中を片付けるのが面倒で、汚れ放題になると次の家に移り住んだ。
それを繰り返している内に、
同じ場所に再び帰ってきたという、笑い話にもならない事もあったらしい。

(その3)
こんなに、売れたのに常に(貧乏)であった。😭
簡単に言えば、お金👛にも無頓着。

米屋、薪屋等の請求が来ると、机の上の包みに入った(作品収入料金)をそのまま渡したりしていた。
お金を貰える方は、請求額が少ないと必然的にお金が多く貰えた事になり、それだけ儲かった。
これ以上に、
何度も引っ越しを繰り返せばすれば、お金が貯まる筈がない。

(その4)
お酒も莨🚬も嗜まなかった。
只、甘い物が好きだった。
しかし、お茶を自分で入れることはなく、家に入ってきた人にやらせた。
食事は自分で支度をしたことはなく、殆んど🚲🍜出前であったらしい。

(その5)
近所の人々とも、
挨拶も人と礼等はしたことがなく、
会話の言葉と言えば、
(こんにちは)と(いや)だけだった。😅

(その6)
彼は長生きをして90歳まで生きた。
辞世の句は、

悲と魂で
ゆくきさんじや
夏の原

(悲と魂)は人魂のこと。
人魂となって、夏の野原でも気晴らしにぶらついてみようか、
という意味らしい。
なんともはや...🙅。
まだまだ、ありますが、
この辺りで充分でしよう。

どうも、天才と凡人は
交わらないものであるらしい。
どちらもお互いを譲らず、
自分のテリトリーの中で
生活するのが
当たり前だと思っている。
それは、交わる事もなく、
平行線を辿っているように思える。

唯一の接点は、
天才の造り上げた(作品)の中だけのような気がする。
その場だけは、お互いの共通の認識が保てるのではないか、
と思った。

夏の暑い中、
(北十軒川)の傍のスカイツリーを目指して歩いていた。
途中で
ひょっとしたら、
あの異常に高い建物も
現代の天才が造り上げたものなんだろうか、
等と思ったりした。

此処まで
長い文を読んで頂きまして
ありがとうございました
m(._.)m

皆さま方から
沢山の(いいね👍)を頂きまして
ありがとうございます。

更に、以前書いた物までも
読んで頂いた上に
(いいね👍)を頂きまして
感謝に耐えません。
重ね重ね、
ありがとうございました。
m(。≧Д≦。)m