つれづれ散歩 51 富士山🗻の見える場所には
少々昔、朝早くから新幹線🚄で大阪や名古屋方面に向かう時に、窓から富士山が見えると何か得した気持ちになった事が度々あった。
特に、三島駅辺りで快晴☀の日に観れる時は、ときたま車内放送で
(只今、進行方向右手に富士山が見えております)
とコメントがあったりもした。
関西方面で生まれて、育った為に、この山🗻を最初に見た時は、やはり感動した。
その後、
東京に住んでかなり経つが、やはり
強い風の吹いた翌日等に新宿高層ビル群の先に富士山が見えると
(良い景色が観れてラッキー😃💕)
と、相変わらず思ってしまう。
都内の近場の神社に行くと本殿以外に、石が積まれた(浅間神社)と呼ばれる神社が同じ境内にあるのを目にする事が度々ある。
こういう神社、つまり富士山を神に見立てるような神社は、かって富士山が見えたであろう場所にしか存在しないと思われる。
しかし、
既に周りが高いビルに囲まれては、もう富士山は見えない。
(富士見坂)と呼ばれた坂でさえ、
最早、富士山を観ることは不可能になっている。
他には類をみない山の形の美しさから、古来より富士山に神様が宿っている(霊峰)と云われた。
富士山が見える範囲内にだけ、
富士山信仰(浅間信仰)が生まれたものと思われる。
この場合は、(偶像崇拝)という言葉はあてはまらないが、広義の意味で捉えるとそれに近いものであったかも知れない。
[木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)]が祀られている。
これは、日本神話上、彼女が火の海となった産屋の中で三人の子供を出産したことから(火の神)とされ、この事が富士山の噴火と重なった事によるものらしい。
しかし、面白い事に浅間神社の社伝では、(水の神)ともしるされている。
元々、
富士山は古くは(福慈神)、(不尽神)と呼ばれ、神聖化されていた。
更に、この女神は(安産祈願)の神様であった事も信仰が広まった要因でもあったと思われる。
しかし、明治時代に入るまで、富士山は神聖な山として(女人禁制)でもあった。
浅間神社にある(冨士塚)は石を積み上げたものや富士山の火山石を積み上げたもの等がある。
富士山が見えるのに、遠くにありすぎて富士山に登れない人の為に、ミニチュアの富士山を造った。
それにより、(安産祈願)の女性達も楽にお詣りする事ができた。
更に、江戸時代後期に入ると、
(富士講)と云われる(民衆信仰)も加わった。
富士講の掟は3つ。
1)良き事をすれば良し、悪しき事をすれば悪しき。
2)稼げば福貴にして、病なく命長し。
3)怠ければ貧になり病あり、命短し。
実に、シンプルで解りやすい為、
大名等の上層階級から庶民まで、熱狂的に支持されたらしい。
江戸後期には
(江戸八百八講、講中八万人)
とも云われたらしい。
こうした(民衆信仰の拡がり)が背景にあったからこそ多くの支持を集めたのかも知れない。
そう言えば、
(一富士、ニ鷹、三茄子)
という(初夢)にみる縁起物にも、
富士山は出てきますよね☀
どうも私はヘソマガリな性格なのかも知れないが、どうも信仰という概念が未だに良くわからない。😰
しかし、
例えば、
海外から飛行機で帰国する時に、
富士山が見えたりすると、
やっと日本に帰ってきたと安心してしまい、
窓から目が離せなくなってしまう。
そういう意味では、
心の片隅に
(こんな俺だけど、やっぱり俺は日本人だったんだ)🙋
という気持ちがあるのだけど
それは一つの信仰というものに
価するものなのだろうか?
或いは、
(富士には月見草が良く似合う)
と(太宰治)が書いた有名な言葉も、
どういう気持ちでこの言葉を
書いたのだろうか?
どちらにせよ、
そんなへ理屈は抜きにして、
快晴☀で、富士山が見える日は
やっぱり、
何か一つでも
良い事が起きそうな気がする。🙌
今回は台風🌀の影響で、
雨が降って散歩に出かけられなかった為に
少し今までとは異なるような
イレギュラー散歩になりました。
此処まで
長い文を読んで頂きまして
ありがとうございました
m(._.)m