yumegakureblogの日記

日日是好日…のたりのたりかな

つれづれ散歩 55 稲荷神社と商売繁盛🎆

DSC_0946.JPG日本国内に神社は約88.000社あるらしい。
その中の約44.000社が(八幡神社)と呼ばれるものらしい。
次が、(稲荷神社)で約36.000社。
ということは、
数だけで言えば、日本の神社は
(八幡神社)と(稲荷神社)ということになる。

商売をしている建物には、必ずといって良いほど稲荷神社が多く見受けられる。
いくら信仰心が薄い私も長い間商売に絡んできた仕事をしてきたので気になってはいた。

今回は、(稲荷神社)と(商売繁盛)の関りについての話。
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稲荷神社の総本宮は、
(京都伏見)の(伏見稲荷)になる。

祭神は五穀を司る女神の
(ウカタノミタマ)。

(京都伏見)の地に(稲荷神社)を
創建したのは、
(渡来人)の秦(はた)氏であった。

古代社会において(絹織物)の技術を持った秦氏は当時の政治に受け入れられ、力を蓄えていた。

秦氏の建てた
(賀茂)氏が興した(賀茂神社)と並び、一番古くからこの土地にある神社となった。

やがて、遷都により(平安京)が出来た時に、秦氏は(東寺)の建設の為の木材を伏見の山から提供した。

秦氏賀茂氏から祭祀を継いだ
氏神的な稲荷信仰であり、秦氏の勢力拡大と共に広まっていった。
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稲荷神社の祭神は五穀を司る
(ウカタノミタマ)であることは既に述べた。
これは、(五穀豊じょう)を信仰する(農業の神様)ということになる。

(稲が成る)が転じて、(稲荷)となり、
稲荷信仰に繋がっていった。

やがて、(稲荷信仰)の拡大に伴って
(ウカタノミタマ)と同一視されていったと考えられている。

伏見稲荷神社では、長く続く(赤い)鳥居が目に留まる。

この(鳥居)とは、神様と俗界との
(結界)のシンボルであり(門)であるとされる。

更に、鳥居が(朱色)であるのは、
(生命の躍動)を表しており、
(災いを防ぐ)為であるとされる。

更にもう一つ、
稲荷神社と狐🐺の関係。

古代社会において、
(田の神)の祭場は狐塚(キツネの住みかの穴)とされていた。

というのは、
狐は穀物を食べるネズミ🐭を捕獲し穀物を守る、
狐🐺のシッポの形状は稲穂🌾に似ているから等が
その理由とされている。
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江戸時代の江戸で人気のあった
稲荷神社は

一番、王子稲荷(王子)
二番、三囲稲荷(向島)
三番、真崎稲荷(橋場)

と、云われていたらしい。

稲荷神社は、
全国的に見ても東日本地区が多く、
(伊勢屋、稲荷に、犬の糞)
と謂われるぐらい
特に江戸には多くあった。

一つの理由としては、
(狐憑き)が多くあったとされる。

狐憑きとは、狐の霊がとりついて、精神が乱れた状態になること。
この狐は、普通の狐ではなく、
白い狐とされている。

更には、
稲荷神社が、
商売繁盛のご利益があると
商売人に信じられた事が大きい。

元は、
江戸中期いた(田沼意次)の出世話によるものであるらしい。

(旗本)から(大名)へ
更には、江戸幕府の(老中)まで
上り詰めた。

その田沼意次の屋敷の中には、
稲荷を祀った(社)があったらしい。
同時に、彼は出世の為に商人から、かなりの賄賂を受け取っていたとも云われていた。

その兼ね合いで出入りの商人から
(稲荷のお蔭で出世したという)
噂👂がたったらしい。

立身出世が商売繁盛へ

変わっていった。✌

この時以来、
農業の神様は
商売繁盛の神様も兼務される
ようになったらしい。😵🎆


此処まで
長い文を読んで頂きまして
ありがとうございました
m(._.)m

併せて、
(つれづれ散歩)の以前のものまで
ご覧頂いた方々に
感謝致します。
大変、嬉しく思っております。☺
ありがとうございます。
m(。≧Д≦。)m