つれづれ散歩 18 隅田川 The change of times.
しかし、川岸の遊歩道は散歩するには本当に適している。
そう思うと、この川の成立ちが知りたくなった。
今から、約450年前頃は東京東部地帯は幾つもの川が東京湾に注ぎ混まれていたと考えてられている。
これらの川により、大量の土砂が山々から運ばれて、東部低地に堆積していった。
それと同時に、海水面が低下した事により、陸地が形成されていったと思われる。
450年前と言えば、江戸時代が始まる以前の時代であり、この辺りは主に湿地帯であり、人が住める場所は限られていた。
今でこそ川の護岸工事がされているので、川幅も固定されているけれど、当時は何処までが川であるかが分からない様な混沌とした所であったと考えられる。
中世時代の終わり頃に、小田原の北条氏が隅田川左岸の丘陵した所を繋ぎ合わせて堤防を作った。
その距離は、向島辺りから熊谷迄に
及ぶ長さであった。
これを(熊谷堤)といった。
地域毎に名前が付けられており、千住では(千住堤)と言われていた。
(つれづれ散歩12参照)
隅田川左岸に比べて、右岸には、堤防等は見当たらない。
かろうじて土砂が堆積した部分が本郷台地の端辺りから、今の浅草辺りを通り、南千住の石浜辺りまで細長く繋がっていた。
つまり、ここが(旧東海道)の道筋だった。(つれづれ散歩4参照)
これを(日本堤)と言う。
これにより、右岸の熊谷堤と左岸の日本堤でハ型の逆の型を造っている事になる。
この型は、瓶に水を入れる漏斗(じょうご、ろうと)と同じ型になっている。
その溜まった水が一ヶ所の出口から、隅田川へ注ぎ込むようになっている。
それでも、水害から東京が守られないために、明治の終わり頃から昭和の始めにかけて、(荒川放水路)が開削された。
隅田川の川幅を今の幅に決めたのは、断崖絶壁の防潮堤を造ってからだと思われる。
この防潮堤が両岸に造られた。
その為に、川と人との距離が分断された。
(江戸)の言葉の意味は、川が海に入る入口とも言われている。
そして、その川の名前は(隅田川)という事であり、この川を攻略することで町も栄えていったと思われる。
ここまで、長い文にお付き合い頂きまして、ありがとうございます。
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