yumegakureblogの日記

日日是好日…のたりのたりかな

つれづれ散歩 53 塀の外からの東京大学

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本郷通りに面している(東京大学赤門)は、元(加賀藩邸)がこの場所にあった事を物語っている。

第13代加賀藩主が第11代将軍の徳川家斉の娘を正室に迎えた時に
建立された。
当時、三位以上の大名が将軍家から妻を迎えた場合、その居場所を(御守殿)といい、表通りからその場所へ出入りする(朱塗り)の門を(御守殿門)という。
東京大学赤門はこれにあたる。

今回は、(本郷界隈)を散歩していると、必ず目につくこの日本最初の官営の大学ついてです。

しかし、私も初めて見たのですが、新型コロナの影響により、來校者を数を制限する為なのか、写真の通り赤門は閉ざされていた。

守衛の人が門を潜る人の身分証を確認をしていたので、散歩途中のおじさんは中に入るのを遠慮👋😞🍴せざるを得なくなった。

この赤門を入ると、
左側に
(東京大学コミュニケーションセンター)という東大の(お土産物)を販売している店がある。

東大で研究されたものを実用化して販売している店になっている。

この大学の特有の硬いイメージではなく、
(お酒🍶)(お菓子)(ネクタイ)(文房具)等のオリジナルグッズがあり、
一寸した東京土産📦✈になりそうなものまである。

店に入れなかったので、店名を思い出そうと検索していると、最近では(オンラインショップ)も展開していて驚いた。👀‼

なんかいままで思った東大のイメージとは異なっており、非常に面白いと思ってしまった。🙋
DSC_0943.JPGこの学校の前身は
徳川幕府が持っていた
[昌平坂学問所](神田湯島にたてれ                             た教学機関)、
[開成所](洋学の教育機関)、
[医学所]、
を明治時代になって
統合して(大学校)を創った。

その後、何度か名前を変えながら、
1877年(明治10年)、文部省管轄の官立(東京大学)が創立した。

1886年(明治19年)に帝国大学法に基づき、(帝国大学)となる。
その時、(予備門)は分離され、
第一高等中学校(旧制第一高等学校)となった。

1897年(明治30年)、
(京都帝国大学)の創立に伴い、
(東京帝国大学)に改称した。

現在の(東京大学)になった。

キャンパスは、
(本郷)ー本部機能及び3年生以の                   各学部。
(駒場)ー教養学部中心。1、2年生                  は、 基本的に此処に通う。
(柏)ー主に、理工学部系の研究施設
(白金)ー主に、医科学研究所
(中野)ー東大部属中等教育学校
がある。
柏のみが千葉県で、それ以外は
東京都内にある。

(中野)に東大教育学部付属中等教育学校があったなんて、皆さん知っていました❔
中等学校とは、中学と高校が一貫した6年教育の事です。。

ここは、特に(双子の教育)が有名ですが、勿論普通のお子さんも入学は出来ます。
確か、一学年あたり100人位の人数だったので、規模的には大きくありません。

付属学校だからと言って、東大に(エレベーター式)では入れません。😅
大学へは、通常の入学試験を受ける必要があります。

(白金)って、一時期(シロガネーゼ)という言葉が流行しましたたよね✨
そんな都内でも有名な高級住宅街にも、所有地があるのですね。🐼

それらのキャンパスの学生数は、約28000人。😵
流石、
日本を代表する大学ですよね☺
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新型コロナの影響により、
来年度の入試も大変ですが、過去に東京大学の大学入試が中止になった事が一度だけある。

(東大安田講堂)において
学生が籠城し、(東大全共闘)と(機動隊)が1月になって揉み合い、1969年(昭和43年)の東大入試は中止になった。

現在、(タイ)国でコロナ禍にも関わらず、学生を中心としたストライキが続いている。
中国でも、かって(天安門事件)があったように、日本においても、そういう時代があった。

既得権を守ろうとする大人に対して
不満を持つ若い学生が叛旗を翻すという情況は、自由主義共産主義、王国体制等の社会の仕組みに関わらず、その国の歴史の中で必ず起きるものらしい。

地方の田舎の小さな町に住んでいた私もそういう事件があった事は知っていた。
しかし、その事が後に自分にどういう影響を与えていくのかまでは、わからなかった。

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東大入試が中止になった事で、
他の大学に東大入試予定者が流れていった。
そして結果的に、
この年だけはいままでにはなかったような入試結果になった。

特に、京都大学へは、東大入試予定者が雪崩こんだ。
当時の都内の有名進学校京都大学に入った人員の合計は、前年度を178人も上回った。
その為、文系学部では合格最低点が前年よりも128~146点も上昇するという結果になった。

京都大学以外にもその影響は及んでいた。

最終的に、
(東京における進学競争の過激さ)が如何に凄まじいものであるかを他の地域に見せていった事になっていった。
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この年、
即ち1969年の上半期の芥川賞は、
(庄司 薫)氏の
(赤頭巾ちゃん気をつけて)
であった。

この小説は、この時の入試に巻き込まれた都立日比谷高校に通う受験生の話である。
当時の(日比谷高校)は、
兵庫の(灘高)校と東大入学者数の一位、二位を争っていた。

当時の(本の帯)には、(三島由紀夫)氏がコメントを寄せていた。
そして、この本は単庫本、文庫本の合計が160万部に及ぶベストセラーになった。

余談ですが、
庄司氏はこの後、3冊のシリーズ本を執筆するのではあるが、全てに色の名前がついた題名になっていた。

(さよなら怪傑黒頭巾)
(白鳥の歌なんか聞こえない)
(ぼくの大好きな青髭)

これは、既に紹介した事がありますが、陰陽五行説における東西南北の色が使われています。
更に余談ですが、彼の妻はピアニストの(中村紘子)さんでした。

田舎の片隅に暮らしていた当時の私も、
そういうなんか青春が感じられ、
華やかさを持ったイメージの東京に憧れ😍💓💓を抱いていた。

東京大学本郷通り沿いに続く長い塀が個人的に好きで、幾度も散歩をしている。

その度に、
その当時の自分を思いだし、
心の中で
照れ笑いを浮かべている。🙌

此処まで
長い文を読んで頂きまして
ありがとうございました。
m(._.)m