yumegakureblogの日記

日日是好日…のたりのたりかな

つれづれ散歩 61 大岡越前を取り巻く虚構世界

DSC_0966.JPG日比谷公園の(野外音楽堂側)の
(愛宕通り)を隔てた場所には、
(東京地方、高等裁判所)がある。

丁度その場所は
江戸時代の絵図
(麹町永田町外桜田絵図)によると、(大岡越前守)の屋敷の文字がある。

あっ、そうか❗
大岡越前が住んでいた場所だから、
裁判所が出来たんだと
思ったが、
まさか、そんな訳はないよね。✨
明治になって、官公庁を造る時に
偶々そうなったんだよね😃

最近では(NHKBS)で、
(東山紀之)さんが演じている
(時代劇)の定番番組でもある。

ここで登場する大岡越前は、
(南町奉行)として描かれている。

当時の南町奉行があった場所は、今の(数寄屋橋交差点)
辺りになる。
DSC_0963.JPG大岡忠相南町奉行になる以前、[山田奉行 (伊勢奉行)]の経歴があった。

(山田奉行)とは、
(伊勢神宮)の(保護)やその他の伊勢神社に関わる(全ての行事)やこの地区の(訴訟)等を担当していた。

時代劇の中ではその在任中に、
後の(徳川吉宗)と知り合うという
(筋書き)になっている。

その話とは、
吉宗は、幼少時に紀州藩の家老の元で育てられ、日頃から、好き勝手に過ごしていた。
殺生禁断の場所で、毎晩、網で魚を捕っていた。
その時の(山田奉行大岡忠相)に
捕まり、
(紀伊家の若君の名を語る狼藉者!)
と若君を縛ってしまう、
という展開になっている。

しかし、
どうもこの話の内容は
年代的に辻褄が合わず、
どうも作り話であるらしい。😰

大岡忠相に関する一連の話は、
明治29年の(帝国文庫)に
収められた(大岡政談)による影響が大きいとされている。

しかし、内容的に吟味していくと、
忠相が実際に裁いたものは、
その話の中の2、3話に過ぎないと云われている。

しかし、
その僅かな話から、
(大岡越前っていうお奉行さんは
公私混合がない
役人には珍しい
立派なお人だ❗)
という感じで
庶民の間で人気が出た
のかも知れない。🙋

後に、
(徳川吉宗)が(将軍家)を継いだ時に(南町奉行)になった。

その時、
吉宗がおこなった(享保の改革)を(町奉行)として支えていった。
DSC_0986.JPG
大岡越前を取り巻く(虚構世界)の話をもう一つ。

全ての時代劇の中で、
隻眼隻手(せきがんせきしゅ)の
剣の遣い手と云われる人物は
たった一人しかいない。✌

(姓は丹下❕、名は左膳❕)
の名文句でお馴染みの
丹下左膳(たんげさぜん)。🙌

とは、言っても
若い人は
もちろん、知りませんよね❗

(隻眼隻手)とは、
(隻眼)が(片目)でということで
(隻手)は(片腕)でいうこと。

物の怪(け)に憑かれたような
その(異様な容貌)が
妙に大衆に受けた。

当時の新聞で連載されていた
話の中では
左膳が刀をさしているのではなく、
(刀が左膳をさしている)
と表現されていた。

この左膳が登場するのが、
(新版大岡政談)
であった。

その作者を、
林不忘(ふぼう)といった。

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本名は、(長谷川梅太郎)という。

実は、
この人は
(三つの名前)をもった作家で、
(一人三人集)という全集
を出版している。

現代小説を書く時のネームは
[牧逸馬(いつま)]。

時代小説を書く時のネームは

そして、
最初に世に出た時の
アメリカ体験物を書く時のネームは

と、其々の小説のジャンルに寄って
名前を使い分けた。

しかし、
昭和の初期に膨大な執筆量で
ジャーナリズムを
一時期、君臨した作家は
36歳の若さで急逝した。

17歳で単独でアメリカ🗽へ渡り、
その時の体験話を
(踊る地平線)
というの本📕にした。

根本的に
(丹下左膳)も(アメリカ体験物)も
人に頼らない
独立独歩の個性的であり
無鉄砲な無頼な人間像を
描いており、
そういう事が
大衆に受けたらしい。

(大岡越前)という名前は、
それら全てを受け入れて
(虚構の世界)の中で
今も
脈々と生き続けている
ように思われる。☺

此処まで
長い文を
読んで頂きまして
ありがとうございました。
m(._.)m