つれづれ散歩 80 東北日本海側の道 新潟
(過去への散歩)と称する脳内散歩の(日本海側の道)のシリーズ最後になります。
この散歩は観光案内としては、全く参考になりません。
そういう類いのものをお探しの方は
他のブログをお探し下さい。
さて、村上から新発田を経て、
最後に(新潟)へたどり着いた。
青森から日本海に沿って、
ずっと降りてきたという
感覚であった。
百聞は一見にしかず
とは、本当に良く言ったものだ、
と思う。
あれこれ考えるより、
時間とお金はかかるが、
直接行って、見て、聞いて、
自分の肌で感じた方が
より早く自分自身が納得できる。
今まで、
殆んど瀬戸内海と太平洋しか知らなかったが、
日本海に面したこういう各地に
触れていくと今まで感じていた日本とはまた別の違った面が見えた。
ほんの少しだけでも、
その匂いを嗅げただけでも
今後の(商い)が違うものになるかも知れないと思えた。
ところで、
今回の最終地の(新潟)が、
大きく知れ渡ったのは江戸時代終りと考えられる。
その理由は、
幕末の(日米修好通商条約)により、
日本の港がアメリカ合衆国に開港
を迫られた時であるらしい。
その時に、
既に開港していた(下田)(函館)
に加え、
神奈川
長崎
新潟
兵庫
が加えられた。
その為に、
それぞれの港は、
開港後に独特の異国情緒が漂う街として、その後も栄えていった。
因みに、
アメリカ合衆国のペリーが黒船に乗って来て、日本に開国を迫った理由は一体なんでしょうか?
答えは、
給水や食糧の(補給地)の必要性に迫られたからです。
当時は、クジラ🐳の油が灯り等に用いられ、需要が高かった。
そのクジラを求めて、
しかし今では、
捕鯨反対と日本に迫っているのは
ただただ時代の流れだけなのか、
ただの大国のエゴイズムなのか、
はたまた、
動物愛護だけなのか、
本当の事は、よくわからない。
動物愛護の観点から捕鯨を反対している国が、
同じ人間である同胞の黒人を国内において、
未だに人間扱いしていないのは、
個人的には
それ以上に理解できないのですが。
どうも、
話が違う方向へ向いている。😅
閑話休題。
新潟のそばに
(長岡)という所がある。
作家(司馬遼太郎)氏の(峠)という
小説の舞台になった。
江戸末期の(戊辰戦争)の一つ
(北越戦争)で長岡藩を主導した
(河井継之助)の物語であった。
彼は幕末の最期の時に
長岡藩を幕府側でもなく、
新政府側でもなく、
一つの独立地帯として
武装独立しようと試みた。
その為に、
当時日本三門しかなかったとされるガトリンク砲二門、
ストロング砲やスナイデル銃やその他の銃等
当時の最新鋭の武器を藩に揃えた。
そして、戦いの前におこなわれた
新政府側との会議の席上で
あなた方が真の官軍であるならば
恭順するが、討幕や会津討伐の正当な理由は何なのか!!‼️
本当は私的な制裁や権力奪取が目的であろう。!!‼️
それならば、
長岡藩への侵入と戦闘は断る!!‼️
と言い切った。
新政府側の軍監であった
長岡藩が小さな藩だと思い最初から小馬鹿にしていたと思われる。
その為に、
こんな正論を真っ向からぶつけられるとそれに返答が出来なかった。
河井継之助は、再度、
新政府側と会議を試みようとしたがこれ以上は無理であった。
そして、北越戦争が始まった。
当初は新兵器によりで政府側と互角に戦ったが、
しかし、
新政府側の圧倒的な人数により、
やがて長岡藩は敗れた。
北越戦争は、
戊辰戦争の中で(一番熾烈な戦い)
であったと云われている。
その為に
長岡藩は多数の死傷者を出し、
河井継之助は後世まで恨まられた。
重症となり一人では歩けない
八十里峠を越える時に
八十里 腰抜け武士の 越す峠
と自嘲の句を詠んだ。
一時期、
私もこの小説がとても好きな時期があった。
丁度その頃は、
自分が受け持っていた部署を
最後に整理して終える時期と
重なっていたと思われる。
特急電車に乗った。
上越新幹線が完成するのは、
数年後になる。
まだ、そういう(昭和の時代)の最中でもあった。
さて、
今後この(散歩)は
どうして行こうかと考えている。😞
都内においては
新型コロナウイルスの為、
どうもジイサンやバァサンに
動くでないとのお上の通達が
遂にあった。😰
残り10話は
今まで通り(脳内散歩)で
いくとしても😅
100話までの(最後の10話)は
(都内の散歩)で締めたいという
気持ちがあった。😂
出来れば、
それでフィニッシュを迎えたい。😃
でも、
少なくとも、春🌸になるまでは
自由に出歩けそうにないかな‼️
そういう状況になってきた。😭
さて、どうしようか😖💧
と、迷っている。
此処まで
長い文を
読んで頂きまして
ありがとうございます。
m(._.)m